私は家では漫才師も同然。真剣な会話をしない。ずっとチャラけてばかり。
「ママってチャラいよね!」
娘が思わず私に行った言葉がこれである。
(ああ、情けない・・・)
そう思いながらも来る今日も相変わらずチャラい私。
本当ならば子供の勉強のためにも政治経済の話をするなり、
生物の話からバイオに関することに関心を深めるようにさせたいように思うのだが
なかなか上手くはいかない
楽なおふざけの会話が今日も始まる。
さて、どうしたらよいか。
私はこの現状を改めることを考えた。
その結果ある結論!
私は自分を女優と思えばいいのだ!
女優さんは常に演技、自分を押し殺す。そしてプログラミングされた自分を出していくのだ。そこには意思は存在しない。ただ作り出した脚本というものが土台にある。
最低限その脚本に忠実にという規則は守らないとならないが。
仕事場が舞台ならば、監督は医院の責任者というような設定。家が舞台ならば主人が監督といったところか。
そして私は女優さんの誰になろうか、考えた。
そう、それは毎日が楽しい。なにより彩りが出るだろう。張り合いともなる。
なぜかといえば、カラフルな服を着てお洒落し常に人前にいる意識になるから
身なりも常にそれなりに綺麗にするようになるのだ。
やった、これはいい考えだ。きたる更年期を追い出す良いきっかけにでもなるかもしれない。(笑)わたしはニマッとしてしまった。こんな素敵なことはない。
そしてそれを決意してから実行し、数日たったある日のことである。
わたしは派手な装いで、街を颯爽と 天海祐希にでもなったつもりで歩いていた。
すると目の前に大きな石が転がっていた。
(なぜこんなところに!)
そこに丁度前から来た人がぶつかりそうになった。
その時私はびっくりして、
「危ない!気をつけてください!」と叫んだ。
そうしたらその人は立ち止まりホッとした感じでいたものの
冷静にこう私にいい放った。
それは幾らか機械化された音声のよう。
「演技で言わないで、心から言ってくださいね」
と。
私はあまりの唐突なそのもののいいように驚いてしまった。
その時、突如以前よく聞いた母の言葉が頭をぐるぐる再度駆け巡ったのだ。
「千晶、あなたの心はどこにあるの?」
「心は一体どこにあるの?」
これは母がなくなってから なぜかよく空耳のように聞こえた言葉だ。
それは夢であったのかもしれないし、朝方聞こえるような感じがすることも多かった言葉である。
この言葉をその人から聞いた時に
これは母がこの人の体を借りてメッセージを送っているのではないかと思った。
そのくらい妙に神がかっているというか、不思議であった。
母がいるかのような錯覚さえしたのだ。
何か早急に改めないといけないというものを感じたのだ。
それは一瞬異空間に入り込んだかのような瞬間!
そのようなことが自分には多々あるのだが、実に久々なる遭遇!
今、その自覚をきちんとしないと、と思えたのだから
タイミングというものはあるのだろう。
そして同時に仕事においても 普段から自分らしくない言葉で敷き詰められた診療をしていくより自分だけの言葉を通して 話すこと、伝えること。
それが 疎まれるならそれはそれでいい。
また、はっきりと 事の結論を自分なりにでも出せるということは途轍もなく嬉しかった。
ずっと優柔不断でもあり、また親の支持下で生きてきた私にとっては
私史上、些細なことで自分なりの決意や結論が出せるということは素晴らしいことなのである。
歳は明けて、また新しい一年が始まった。
また 自分が進みゆく新しい環境において
いったいどのように進んだらいいのか 今後迷うこともあるかもしれない
しかしこれだけは頭に入れていきたい。
たとえどんな評価をされようとも 自分の軸を変えないように、ブレないようにしないといけないと!
女優のようというよりも、心は込めていくということ!
ハートをこめるということ!
ハートのある言葉は人の心を突き動かす
それだけを期待するわけでもないが、やはりハート対ハートでいたいではないか。
いろいろな困難にあっても 患者さんを診る場合においても
とにかく気をつけないとならない。
そして私は、いつも自分の母の言葉にはとらわれてしまっているのだなあ、と痛感してしまうものの 天国の母はいつも自分を見守ってくれているのかもしれないな・・・
と そんな気持ちもするのだ。
母は思うのであろう。
~わたしが歯科医として、
カウンセラーとして
ハートをとどけて仕事しているか、そして
それがためになっているのか~
それをチェックされているのかもしれない。