『孤狼の血』にしても、フットボール問題にしても………

 『孤狼の血』
 この映画見ましたけど
 あまりに恐ろしいシーンが多く
 見ていられませんでした(;^_^A

 途中で出ていこうかなと思ったくらいに
 見るに耐えられないシーンが多く、
 わたしには無理なタイプの映画なのかな、と思っております

 さて、
 このタイトルは、
 孤独なオオカミの血、と言う意味合いになりますね

 これからも思うのですが
 孤独ということ 
 実はとても大事なのです

 わたしも好んでいます

 最近ベストセラーにもなりました
 元アナウンサーさんの本でも、
 孤独はすすめられています

 確かに
 自分自身をみつめるということ
 これは孤独な時でないとできません

 そして、孤独の中に 
 今までわからなかった自分を改めて発見できることもあるのです

 そして、
 孤独死がどうの、と言われますが

 孤独でも 
 満足して生を終えることが出来たら
 それは幸せなのです


 一人で死ぬときに
 一緒に行ってくれる人はいません

 仮に同時の死でも、
 そのあとは違う死後を進むことになるのです

 魂だけがあるからなのです

 いろいろ死後の世界に関してはいわれます

 ですが、
 もうこれで、終わりということはなく
 魂の存在は
 永遠に続くわけです

 魂は滅びないからなのです


 そして、
 先程の
 映画、『孤狼の血』にしても、
 孤独の勧めにしても、
 そして、
 今一番騒がれている悪質タックル問題にしても、

 すべて
 人としての心の在り方を問われていると思うのです


 人は弱いものです

 ですが、自分がしていることが
 本当に
 人として正しいことなのかどうか

 それを振り返る時間が無くなることほど
 恐ろしいことはありません


 だからこそ、孤独の時間は必要なのです

 ………監督の言うことを聞いてばかりでいいのか
 本当はこれはおかしな指示ではないか、
 また指導するものとして選手を育て上げたい、でも
 この言いかただと誤解をされるのではないか、
 あと一つつけくわえたほうがいいのではないか………

 時にその考えす時間は
 長時間になることもあるのかもしれないですが


 それに耐えるというよりも
 その時間を味わうのです

 内省することなのです

 映画の
 『孤狼の血』においては
 一人でじっくり振り返ることがないからこそ、 
 事は重大な方向に向かってしまったのではないかと思うのです

 (あまりネタバレになりますから言えないのですが(;'∀'))

 そして

 孤独の勧めにおいては
 著者さんが言われることに

 若い時から一人の時間をたのしめるようになることが大事だといいます

 勉強と言うものも
 そのために必要なものなのかもしれないですね

 そう思っています

 また更に言えば、
 ひととして常にするテーマが
 一生あること

 これは人として育つのに大事なことだと思います

 学生が
 好きなことをやめてしまうということは
 そのあとをかんがえるともったいないことです

 若い人が
 ひとつの事件のために
 好きなスポーツから離れることが無いように


 一人になり、
 本当にやめていいのかどうか
 ゆっくりかんがえるのが必要ですね

 例の大学の問題ですが

 (もう助けてくれよ)

 と言う声しか聞こえません

 きっと泣きたいような気持ちなのでしょう

 指導する人の方がです
 恐らく学校側もです

 ついでをいえば、ですが
 マスコミはいい加減
 今していることが
 人として正しいことなのかどうか 
 皆それぞれ
 一人になり
 内省したらいいのではないでしょうか

 人として報道することで
 傷つく人がたくさんいます
 影響を受けて迷惑をこうむる人もいます

 もうこれは内部の問題です
 どうしても、という問題なら

 あとは国に任せたらいいのです
 ときに司法が必要ならその過程も経ないとなりません

 個人や、大学としてのあるべき姿としては
 深刻ではある問題ですが

 たとえ、夢中になり
 人道に反した指導をした場合でも、
 それを内省して認めたらいいと思います

 そして詫びればいいのです


 ひたすら心から詫びる


 そこに誠意が伝わる

 それでいいのです

 そして出来たら影響を受けた
 たくさん傷ついた人のために
 何らかの形で
 償いをしてほしい

 そのように思います


 それを導けるようになるには
 当の本人たちが自覚することです

 そのためにも
 孤独になることが大事なのです


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