数年前は、母の日は
私には関係がないものとして受け止めておりました。
と言うのは、私には母がもういないからです。
別にいじけているわけでもなく(;^_^A
それでがっかりしているわけでもありません。
ただ、そこにはある事実がもうすでにありました
それはもう私が母であるということなのです。(笑)
ですから、本来ならば私の日なのです
そのことに対する自覚がようやくめばえてきたということでした。
どちらかというと、
私はかなり長い期間父親みたいに接することも多かったというのもあったのか
よくわからないものですが
あまり
世にいるお母さんとは程遠いようでして
母らしい自覚がないものでした。
そして、
娘にママの日だね、今日はね
と言われることが毎年母の日の年に続き、
漸く自覚するに至ったわけです。(笑)
人の考えと言うのは不思議です。
人により
しっかりと植え付けられる。
自分が価値観を決めてしまうだけではないのです。
いくらそれが
まがいない事実だとしてもですね。
そして一番身近のものが
そのようなことを教えてくれるということもある。
それが非常にありがたいのです。
とりとめもないことを書いてしまいました。
このように自分に母親たる自覚があまりないということ、
その理由がほかにもあります。
それは
子供に対して
自分はお友達のように接している傾向にあったからです。
ですが、
このお友達のように子供と接するいうことは、とてもいいことのようです。
それを多くの方から聞きます。
なんでも
話を聞いてあげるような雰囲気を作ることの重要性を
よく以前は父にも言われておりました。
その何度も言われたということ
それが
わたしに自然な形で
友達感覚にならせ
子供にはいろいろなことを
相談相手の様に打ち明けさせるようにするということを
促したのかもしれないです
それでも、………何ですが
本当のことを
子供は全て行ってくれるわけではありませんでした
いまだに
「私の気持ちなんかわかってくれるはずない」と
言うようなことも言います
それは仕方ないことです
その時々の気持ちと言うのは
当の
本人が
一番知っているものだからです
また、
母に対する複雑な思いが
私を複雑にさせているのに似ているのかもしれません
わたしが抱いている母への思いは、
非常に複雑でした
とても嫌われていたのではないかという不安、
その一方で、厳しい愛が非常にきつかったということ
それでも、
何を言われても大好きでたまらなかった、
私の異常なほどの母への尊敬度
などなど………
本当に複雑なのです
母は私から見るとカリスマ性の塊で、
社交的で
全ての人を
魅了させてしまう大天才でした
この母のことを
語り始めたら
一万字以上にはなるのではないでしょうか
あ、このような内容で
わたし、セミナーしてみるといいのかな(≧∇≦)
今急激にこのアイデアがわいてきました(笑)
これは
母からの
この今日の、
母の日に対しての
逆プレゼントかもしれません
そのように今思った次第です
(本当に自分には情けない点があり、人の前ではかしこまった堅い話をするのが嫌なのです。まじめな話をするのが嫌(笑))
もうふざけたような人間ですよね
あたま痛くなってしまうんですもの
堅い話をすると(;^_^A
そんな感じですよもう(;^_^A
それは困りましたね
でもこうすればいいわけです
いつか母のことを
とりとめもなく話をする会か、
セミナーなりを
することが出来たらと思います(笑)
不言実行でなく有言実行で行きたいものですが
しばらくしてからですね(*^-^*)
そう思ってます
だいぶ話が変わってしまいました
本当に申し訳ございません<m(__)m>
母の日ということでお許しいただけますでしょうか
何といってもわがままな作家です(笑)
どうかお許しくださいね
そしてこのような私の作品をどうかご覧いただきましたら幸いです
母を尊敬し
複雑な気持ちに包まれそして
育ってきたという私の
複雑なストーリー性を書籍からも味わってみてくださいね
↓ ↓
わたしの小説