あれは冤罪?いえ、何もないから幸せなのです


 今日、気になったニュースです

 まさか、あの和歌山の事件の

 カレーの事件のほうなのですが、
 被害に遭われた夫の方、
 加害者が
 無罪だと信じていらっしゃるのです

 これにはおどろきました(;^_^A

 被告には死刑が確定しているからなのです

 冤罪で死刑だというのなら、
 このことは 私のあの小説を彷彿とさせます
 ↓      ↓



 (この小説は去年秋ごろに仕上げをしたものになりますから

 非常に懐かしいものです)



 私の大好きな門前仲町を舞台にして書いてみましたものです


 でも、今回起きている和歌山の事件でも、

 偶然とはいえ、非常に似ている感を受けるものがあります

 

 意図的としか思えないはずなのに
 そのようにおもわない、そして無罪を信じている
 それはどうしてなのでしょうか。


 私が思うに、
 そこに愛情と思われるものがあるからだと思います。

 そこに愛とかんじられるものがあるかどうか
 それが大事なのです。

 それで判断をするのです。

 愛があるからこそ、罪が偽と思われる。
 被害に遭う人は、そんなの、嘘だ嘘だと思うのです。

 自分でも思い当たるものがあります。

 もしかしたらあの人は
 私をだましたのでは、とおもうようなこともあったのです。


 ですが、明らかに愛情を感じるものが
 そこにもしあれば、
 それはそうではないと言い切れる

 人と言うのは弱いもので

 懸命に尽くしてくれた人には
 弱いからなのです

 それだけ献身的な態度ということは、
 大事なことになるのでしょうね


 そのように思います

 さて、私は毎日いろいろ勉強しないとならないことも多いのですが

 下調べというのもあり大変な毎日を送っています

 このような中ですと


 どうしても愛情ということにおいて
 献身ということにおいても
 手を抜きがちになるような気持がするのです

 それは気をつけていかないとならないと思いました

 だからこそ、 
 先程エネルギーをチャージして

 特に
 慈善の気持ち、そして愛、感謝ということに重きを置いて
 エネルギーをじぶんに入れてみました


 最近は小説を書いている時間が取れなく
 でも、この小説を書くことが生きがいで
 継続して書いていないと心が乱れるのでは
 と思っていましたが

 だんだん違うこともわかってきました


 むしろ、日常を描くこと
 思う愛情をかくこと

 それがいいのではと言うヒントを最近なんとなく得たのです

 
 小説を書くことで
 かけがえのない富を、そして名声をえたいと
 そう思う人もたくさんいるでしょう

 それはそれでいいと思います

 ですが、何もない、
 ただ平穏な幸せということも
 人にとり、目標にしたいこと。

 感謝の対象になるのではないかと思うのです

 おもえば、
 私の母は

 専業主婦をメインにしていました。

 彼女には、人を引き付ける才能がありました。
 それは、尋常でないレベルのものでした。
 にもかかわらず、
 家の中や近隣でのことだけにとどまる活動をしているから
 本当にもったいない、と思っていたので

 いろいろ
 私は苦言を言ったこともあります

 ですが、それに対し
 母は、

 これがいい
 これが幸せなんだ、

 というのです。

 でも、
 私はいまになり
 思います。

 このことを理解できるのです。

 なんの事件もなく過ごせること。

 それに感謝すること。

 それが大事なのだと気づいたのです

 



 
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ミッドタウンのアジサイです
毎年同じ感じがします。(笑)
 これも
 平穏のしるしなのでしょうね(*^-^*)