shockなことがありました

先日おどろきました

私が小説を発行した次の日あたりに小説の舞台であります、
門前仲町にて事件が起こりました

このようなことを申し上げたらいけないのですが、
その八幡宮は私は好きではありませんでした

ですから、その周辺を避けるように通っていたのです。
これにはもうしわけなくおもっております、ですが、いやなのです、
その周辺の場所が嫌いでした。


なぜか陰鬱な、険悪なものを感じたのです



あまり、批評するのもいけないのですが、

この争いというのは

どちらかがおれていれば、おきないこと

どちらかがわるくないとおもいましても、
ごめんなさいと言えばよいのです

相手を嘘でもいいからたてればよいのです
全くそうおもってなくともよいのです

女は男をたてる
そして、
弟はお姉さんをたてる


それで、大体のことは解決します


意固地になるから

頑固になりあうから争いが起こるのです


戦争でもそうでしょう。

争いというのは社交辞令でもいいので、
頑固をぶつけないでおくことです

それは真意とまったく違っていてもいいわけなのです

誰ものぞいたりはしません

貴方の大事な気持ちはあなただけが
ひしとひとり、握りしめ持って居ればいいのです


自慢ではありませんが私は夫婦喧嘩をしません

思っていることをすべて言わないなんて誠実ではないという人もいらっしゃるかともおもいますが
基本的になじりあったりする後は後の空気が良くなく
お互いがからだの調子をわるくするだけです
事故の原因にさえなります

よくヒミツがいけないとか、、
おもったことすべていえ、なんていうのはおかしいことです

そうですね

自分のshockというのは

正義感ということが小説に重なる、
そして、
門前仲町ということが小説と同じ
また
救いの声がきこえた、となんどもかいていますが、
深川警察から聞こえた助けの声を
もっとアピールをしてあげればよかった、
何かの手段をつかい、してあげればこのような事には


思ったのです

ですが、それを留めるといのは
かなりのものがいります
ですから、何らかの形で
このイシリスをつかっていただけること


それをチラシなどで門前仲町の街におつたえできなかったということが
悔しくてたまらない
それなのです







イシリスに宗派、流派というのがありませんから、
私は無宗教ですが
キリスト教の考えも神道の考えも仏教の考えも広く受け入れれおります。

この宗教すべてがおしえているのは、真実が一つであるということだからです

なぜ神につかえる人たちが
このような殺傷事件をおこすというのか
それが疑問でならないわけなのです


命を奪う



これ、ダメに決まっているでしょう…

純粋に
表には表現できない、
怒りに似た感情のようなものであると申しましょうか
その様なくすぶりが
今はあります





021
門前仲町でかつて見たくもです
0342

















013
サクリファイスという小説の表紙に使いました