小室さんの反省は危険。日本が強いる我慢の危険性

ニュースにこのように挙げられていたので引用させていただきます

これは非常に共感する内容なので掲げさせていただきました

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好きな人を介護をしなければならなくなることも大きなストレスです。

介護自体、不幸な事件が多数起こるほど大変なことですが、妻の介護をしなければならないというのは、恋人としての関係と、介護―被介護の関係性との2重の関係性を持つことになります。

これは心理学でダブルロール(2重役割)と言われているものの一例です。

実際、日本の多くの家庭では子どもができると、両親という関係性ばかりになってしまい、恋人としての関係性が希薄化してしまうことが多いのは、健全に二重の関係性を維持するのは心理的にとても疲れることだからです。


 例えば、子どものとき、自分の親が、自分の学校の担任の先生だと想像してみてください。

学校での教師―生徒関係と、家での親子関係がお互いに影響することなく適切に関わるのは難しいですよね。

 それに対する一番シンプルな対策は、同じ人と2重の関係を持たずに、関係ごとに相手を分けることです。

親子は変えられないので、自分の子どもの担任にならないようにするというようなことです。

 小室さんは、相手の急激な変化によるストレスと恋人としての関係と介護の関係の2重関係の困難さをうまく乗り切れなかったのかもしれません。

 強いストレス状態の時には特に、人は自分を守るために支えや慰めを必要とします。

こういうときに、世間的には「自分の気持ちが弱かった。反省している」と言うのが正解のようですが、

これは危険な考え方です。

気持ちを強く持つということは、一般には、自分のニーズに負けず「我慢」することを意味します。

 社会的に不適切な行為を擁護・推奨する意図は全くありませんが、

仮に一生懸命生きてきたにもかかわらず、不幸が重なって無職のホームレスになってしまった人が、どうしても空腹に耐えかねて食べ物を万引したとします。

事情が何であれ、万引が違法であることは間違いのないことですが、その人を捕まえて「自分の気持ちが弱かった」と反省させても、その人がどう努力しても最低限の食べ物を買うお金を稼ぐ道がないのだとしたら、意味のないことです。

気持ちを強く持っても、生存に必要な食べ物が不要になるわけではありません。

意志の強さで実現できることは、せいぜい数日の絶食であって、ずっと食べないで生きていけるようになるわけではありません。

「人はパンのみにて生きるにあらず」というように、生きて行く上で精神的な充足感が絶対に必要です。

ところが、こちらは目に見えないので簡単に無期限の絶食ができるものとみなされてしまいます。

これは危険な発想です。


 日本の介護問題となると、具体的にどう介護負担を減らすかなど、個人では解決できない部分も出てくると思いますが、小室さんが示した高齢社会の一つの課題を自分の問題として考えておくべきは、

そうした人間のありようを前提にした回避方法です。

 例えば、日頃から夫婦の愛情関係と親同士としての関係性を両立させて2重の関係への対応力をつけておくとか、

精神的な飢餓・充足に意識を向ける習慣などは、いざ介護になった時にも役立ちますが、

それ以前に日々の夫婦の関係を豊かにするために役立ちます。



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これはじつはそこにいる当事者にしかわからないものでもありますが


誰もが直面する可能性の高いこの問題を ばさりと

がまんしなさいよ、と切り捨てるのでなく、

かえって赤裸々にありのままに小室さんが語ってくれた

この辛い現実を

参考にして

これからの我々に起こる可能性のある介護の問題などの参考にしていかねばなりません


会見で強いた如く我慢の強要は危険です


ですから、常に周りの励ましをしてあげるという助けに、

良くない気を解消する助けとなるメソッドなどを提供することも大事だと私は思います